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SHURE E2C [感想文]

 下のことがあまりにも悔しかったので、腹いせに買い物をしてやった。
 これね。
 屋外では、3年ほど前に買った3、4千円のソニー製カナル型をずっと使用していたが、これが世間でよくいわれる、バリバリのソニーな音で、低音重視。というより低音しか聴こえない。カナル型ということで遮音性は抜群で、すべての音が漏れることなく耳に入ってきているはずなのだが、全体にこもっていて高音がまったく響いてこない。室内で使用しているお値段けっこう高めのヘッドホンとくらべると悲しくなるほどのものであったが、屋外でわざわざクラシックとか聴くわけでもないから、あまり高音の出かたなど気にする必要もなく、とりあえず我慢して使用していた。
 しかし、いいかげん我慢も限界に達し、こういうタイミングもあり、いよいよ上級品購入に踏み切った。
 他の電気製品とくらべて、ヘッドホン・イヤホンは価格が性能に直結していると、よくいわれる。これはわたしも実感することではあるが、しかしそれは2万円以下のはなし。2万円までは価格が上がるごとに劇的に音が良くなるが、それ以上になると、わたしの耳ではもうわかりません。違いはもちろんわかるが、質の良し悪しではなくて、好みの問題になる。
 で、秋葉原の某店でいろいろ試聴した結果、選んだのが、くりかえすがこれ。安い買い物にはならないので、数字上の性能や評判はすでに調査済で、これよりもう1ランク上のものを買おうと目星をつけていたのだが、試聴したら値段ほどの性能差を感じない。評判どおり多少高音の響きが美しいようだが、これは「高音が美しい」と事前に情報をすり込まれてしまっているせいで、そう聴こえただけかもしれないし、しょせん屋外用なのだから、実際に使用したら気にならないであろう差である。ただひとつ、確かにいえるのは、今まで使っていたものよりは、驚くほどいい音がするということ。そんなこんなで安い方のこれを購入するに至った。
 購入直後さっそく箱を開けて、聴きながら家路についたのだが、いやー、いい音がするだけでこれほど気分がかわるものか。楽しくてしかたない。いままでシャッフルで再生されたら気分しだいではトばしていたような曲も、新たな聴きごたえを憶えてしまってトばす気にならない。じつに充実した帰り道であった。


読書もしてるんです [感想文]

 以前このブログにも登場していただいた某女王様から、先日、久々にメールがきた。
 “おれのことをかまってくれるのか”とドキドキしながら本文を読むと、

 「柴門ふみの『ぶつぞう入門』はとうぜん読んでいるのだろう?」

 ――は? おれのことをかまってくれるわけじゃないのですか? すいません。読んだことありません・・・。

 「“仏像マニア”がきいてあきれる。ブログにかまけて読書がおろそかになっているのではないか。この腑抜け野郎が」
 
 ――すいません。今度読んでみます・・・。

ぶつぞう入門

 文庫になるくらいだから単行本はそれなりに売れたのだろうし、実際、話題にもなっていたそうだが、単行本が発売された2002年当時、すでに自分の見仏スタイルはほぼ確立しており、ガイド本などには頼らなくなっていたため、その存在に気付かなかった。

 で、読んでみたわけだが。
 『ぶつぞう入門』というタイトルではあるが、これで仏像の初歩知識が得られるなんてことはまずない。あくまで、柴門ふみが気に入った仏像をおもしろおかしく紹介するエッセイである(ちょっとした解説とガイドもあるが、ほんとうにちょっとしたもの)。
 仏像関連エッセイとしては、どうしても我がバイブル『見仏記』と比較してしまうわけだが、やはり『見仏記』に比べると、中堅見仏人としては物足りなさを憶える。原稿枚数の制限もあるのだろうが、ひとつひとつの仏像、寺にまつわるエピソードがじつにあっさりしているのがなんとなく物足りないのだ。そのお手軽感が『入門』たる所以なのだろうし、最初からそれが狙いでもあるのだろうが。
 もちろんエッセイとして読むぶんにはおもしろい。しかしあくまで女性視点であることを崩さず、仏像の好みもわたしとはずいぶんかけ離れていて、なかなか共感することができない。
 要するにこの『ぶつぞう入門』は、“仏像に関して知識も興味もまったくないが、サイモンなら読んでみてもいい”と思える女性向けの本というわけで。
 これで仏像に少しでも興味をもったなら、まず自分の目で仏像を見て、そして『見仏記』も手にとってみてはいかがかなと。

 ちなみに。
 『見仏記』であるが、単なる仏像初心者向けエッセイ・ガイドを期待して手を出したら、違和感を憶えるかもしれない。
 シリーズを追うごとに“仏像エッセイ”が壮大な“旅行記”へと変貌していき、そしてその見仏旅行を通して、“友情とはなにか”“親子とはなにか”、ついには“生命とはなにか”という、深遠なテーマに話が及んでいく。
 仏像に興味がないひとにも、読み応えはじゅうぶんにあるのでぜひおすすめしたい。

見仏記


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一生分「愛」と書きました [感想文]


アイ ラブ ユー
 前作『シフクノオト』の印象は“サッパリしてる”だった。病気からの復帰第1作目ということで、自らの人生や、生と死について踏み込んだつくりになると予想していたのだが、同じことは『深海』でやっているのだし、恐らく桜井自身もそう予想されているのは承知でスカしてきたのだろう。それで「サッパリ」。生死をさまようような重病ではなかったにしろ、病を乗り越えたということで憑き物がおちたように、「サッパリ」だったのかもしれない。
 そんななか、『タガタメ』のフィルターをかけていない痛烈なメッセージだけがういていて、違和感をおぼえるのがタマにキズというアルバムであった。

 で、今作の印象は“前作に比べたら湿気がある”。
 この湿気の要因は、最近目立つようになった、桜井の飾らずしゃくりあげるようにぶつけてくる歌唱法から伝わる熱気と、そして何より、アルバムタイトルどおりの“愛”の息遣いによる。
 いままでもMr.Childrenは愛について唄いつづけてきたわけだが、しかし、何の恥ずかしげもなくこんなタイトルをつけるくらいである。それはそれは露骨に“愛”を表現している。そんな露骨さが、上記のような桜井のいままでにないがなり声と相まって突き刺さってくる。もちろん耳慣れた桜井節が健在の照れくさいほどのラブソングもあり、様々な愛の表現のかたちをこのアルバムは示してくる。

 それにしても、そんな“露骨”に愛を唄った『隔たり』であるが・・・。これってシャレでつくったのか? 先に詩だけ読んだら、まさかこんな曲にのせてくるとは思えない。当然、どう感じようと聴く者の自由ではあるが。


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一生分「芸術」と書きました [感想文]

 「芸術」ということばは実にあやふやなもので、人それぞれ捉え方は千差万別であろう。もちろんわたしにとっての「芸術」の定義を他人に押し付けようなんて気はさらさらない。
 しかし、普遍的絶対美が表現されていることこそが、誰がなんと言おうと「芸術」の大前提であると思うし、ゆずれるところではない。表現者が表現せんとする美が世界に普く伝わりうるものこそ真の「芸術」であり、作った自分にしかわからないといった一人よがりのものを「芸術」とは呼びたくない。
 そして世界に普く美を伝えるということは国や地域の文化を超えることであり、それこそが“絶対美”であるわけだが、その絶対美を表現するのは、何ものにも揺るぎない確固たる技術こそすべてである。才能なんて、それを発現させるための技術があってこそ意味をなす。(技術を習得するのも才能のひとつだ)。
 芸術のためのひとつの手段として技術があるのではない。まず技術があり、そこにはじめて芸術
が生まれるのだ。芸術家は芸術家であるまえに、技術者・職人でなくてはならない。
 いやそもそも、“自称”芸術家というやつは一様にうさんくさい。上記のように、他者に伝わってこそ芸術が芸術たりえるということを前提にすれば、「芸術」を称することができるのはそれの表現者以外の他者にしかできないのだ。最初から「芸術のために芸術」しているようなものを、わたしは「芸術」として認めたくない。

 前置きが長くなった。

 本日、『印刷解体 Vol.2』なる展覧会に行ってきた。
 いまや廃れつつある活版印刷の展覧会である。その活字によって記されている内容は関係ない。あくまで、活版印刷・活字そのものの展覧会である。
 そこで、『文選・植字ライブ』として職人が目の前で作業を披露してくれた。
 ひたすら活字をひろい、版組していく。その目標のためだけに何十年と繰り返されてきた作業には無駄などなく、洗練され、そこにはなんのまぎれもない絶対美があった。それは確固たる技術に裏打ちされたパフォーマンスとして芸術の域に達しているのである。
 もちろん職人たちに“芸術家”としての自覚などないだろうし、「芸術品をつくろう」などという魂胆もないだろう。ただひたすらに目の前の仕事をこなすだけである。しかし「芸術」であることを自ら主張しないストイックなまでのその仕事ぶりと技術力にこそ、他者であるわたしは美を見出し、それを「芸術」と呼ぶ。


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知りすぎていた男 [感想文]

 で、元ネタのこれ。

知りすぎていた男

 映画のなかで音楽の役割が重要な位置をしめるのは言うまでのないことだが、この映画の場合、音楽は演出の一部ではない。音楽そのものをサスペンスの軸として、ひとつの作品に成立させている。ある意味『音楽映画』といってもいい。
 映画史に残るアルバート・ホールのコンサートシーン。わたしは映画を観て、これ以上心拍数が上がったことはない。このシーンが終わった後、息切れしていたくらいだ。

知らなすぎた男

 ちなみにブログタイトルはこっちの方がふさわしいとは思うが、既存の映画のまんまじゃあれなんで。こっちは観たことありません。


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・・・Say Me [感想文]

 で。
 Mr.BOOといえば、なんといっても広川太一郎。

 声優の実力とはどういうものなのか。なにをもってして、声優の実力をはかるのか。
 特に洋画の吹替えであるなら、オリジナルの台詞まわしの雰囲気を忠実に再現できるのが、実力のある声優ということになるのだろう。そしてそれこそが、洋画吹替え声優に与えられた仕事である。
 しかし広川太一郎はその声優の役割を大きく逸脱し、声優のできること、可能性を広げている。
 吹替えによって、オリジナルとは別の作品にしてしまうのだ。それを大いに実感できるのがこれ。『キング・コング』リメイク版も公開されることだし。

クイーン・コング〈限定版〉 映画自体はカスである。あまりにもひどすぎて目もあてられない。
 しかしそれを“くだらないZ級映画”として楽しめるレベルまで引き上げ、商品として成立させてしまっているのは、広川太一郎先生の吹替えによるものである。オリジナルではまったく言われていない言葉をアドリブで織り込んでいくおなじみの広川節により、まったく別物の作品に作り変えられている。

 Mr.BOOも、吹替え版の方がおもしろかったりするわけだが(というより吹替えじゃないとおもしろくない)、それよりもこの『クイーンコング』のように、比較対象となるオリジナルがひどければひどいほど、吹替える広川大先生の実力がはっきりとみえてくる。きこえてくる。


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お笑いウルトラクイズ [感想文]

 過去のテレビバラエティ番組が続々とDVD化されている昨今であるが、ついに真打といえる名作が登場した。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!DVD-BOX
 さっそく買いました。そして我慢できずに一気に視聴。
 いやもう、ほんとにこれはひどい。すごくひどいのではなく、ひどくすごい。なにがすごいって、みているこちら側でも容易に想像できる、莫大な制作費のかけ方と火薬の量。それでやってるのは壮大な“お約束”と命がけのお笑い祭り。いや、うまく隠蔽しているだけで、実際死人出てるんじゃないの? これ。

 そして違う意味ですごいのは。
 顔にぼかしが入っている出演者の、まぁ多いこと多いこと(でも長年テレビをみつづけてきたわたしには、わかっちゃうんだな。あのひとや、このひとが)。
 あぁ、時代を感じるね、ほんと。

 これが毎年元日のゴールデンタイムに放送されていたのだから、まったくバブル期の日本というのは狂っていたとしかいいようがない。


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老いてなお [感想文]

水野晴郎さん自宅で吐血、入院|芸能|日刊スポーツニュース|So-netニュース



 だいじょうぶっすか、閣下。
 『シベ超』はどうなんでしょうか。

シベリア超特急 コンプリート DVD-BOX
 このシリーズ。1作目から、回を重ねるごとに確実におもしろくなっているのは、みた誰にも明らかなことと思う(それが寂しくもあるのだが。あのホテルの一室にしかみえない鉄道の車内シーンよ、もう一度)。わたしのような素人でも、映画づくりにおいて、なにがよくて、なにがダメなのかが実によくわかってきて、ひとつ映画論をぶてそうな気分になる。
 またこれをみてると、老いてもまだいろんな面で成長することができるのだなと、感心させられる。年をとってもまだまだできることはあるのだなと。この老齢化社会において、未来をかすかにだが明るく照らす、貴重な例である。
 とりあえず閣下。お大事に。ぼんちゃんもさびしがると思うので。


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ヨイトマケの唄 [感想文]

 職場の休憩室でテレビをつけたら、米良美一が『ヨイトマケの唄』を唄っていた。

 オリジナルであるところの美輪明宏の唄はとうぜん聴いたことがある。
 桑田圭祐のカヴァーも聴いた。
 しかしこの米良美一のカヴァーは、知ってはいたが聴いてなかった。

 いやまさかこういうことになってるとは・・・。

 職場の休憩室という場所は憚らず。
 涙があふれてきた。

 これはホンモノのウタだと思った。ウタってこういうものなんだ、たぶん。

 歌唱力云々ということではない。もちろんこれは「カウンターテナー・米良美一」のプロとしての技術に裏打されての歌声ではある。
 今この時代にこの詩を唄う意義とか、理屈をいろいろからめることもできる。『ALWAYS』なんかがヒットして、「貧しくも“美しい”昭和」にノスタルジーを見出す若者に、この唄こそ本当に聴かせたい、とか(もちろんわたしだって本当の昭和の姿など知らないけど)。

 しかしそういうことはすべて超越していた。
 ウタヲウタウということがどういうことなのか。その本質が、ことばの上っ面の意味など関係なく、その歌声にのせた言霊により、身体全体に伝わる感覚として、わかったような気がした。


ノスタルジア~ヨイトマケの唄

ヨイトマケの唄/いとしの銀巴里/人の気も知らないで


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Cocco [感想文]

 いやもちろん、他にも“ホンモノのウタ”を唄える歌手がいる。
 自らの魂から削りだしたような詞を、なんのてらいもないストレートな声とメロディに乗せて。

ベスト+裏ベスト+未発表曲集
 彼女がなぜ音楽活動を休止したのか、わたしには知る由もない。どんな事情があったにせよ、もうCoccoの新曲を聴くことはできない。自ら消え去ろうとする稀有な才能を引き止めることができなかった、あるいはそこまで彼女を追い込んでしまった日本の(我々一般リスナーも含めた)音楽業界に、わたしは憤りすらおぼえていた。

 

ばらいろポップ
 沖縄での限定的な活動を経て、本格的な音楽活動の再開となったこれも、あくまでポップであることにこだわった“SINGER SONGER”の一員としての唄であり、それはそれで心地よく、今までになかった一面を聴かせてくれていいのだが、わたしの待っていた“Coccoのウタ”ではなかった。

 

 

音速パンチ (初回限定盤DVD付)
 そしていよいよCoccoが“Cocco”として戻ってきた。
 現在、テレビの芸能ニュースやラジオで流れているタイトル曲を聴くかぎりは、“新生Cocco”を思わせ新鮮ではあるが、「ウタヲウタウ」ことへの魂のかたむけ方は以前のCoccoと変わっていてほしくない。もちろん、その部分こそがCoccoの真髄でもあるわけだし、“SINGER SONGER”ではなく“Cocco”として唄う以上、そんな心配は必要ないだろう。
 はやく次の曲も聴きたい。アルバムの発表が待ち遠しい。


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